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三芳野神社と川越城本丸御殿

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◆創建 平安時代の初め大同二年(807)
◆祭神 素盞烏尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。 菅原道真・誉田別尊(ほんだわけのみこと)

長禄元年(1457)太田道灌により川越城が築城されると城内の鎮守として歴代城主の崇敬を受けてきた。嘉永元年(1624)徳川家光の命により、当時の城主酒井忠勝により造営され、のちの明暦二年(1656)の修造され現在に至る。



三芳野神社御朱印
さてさて、この三芳野神社、あのわらべ歌の「通りゃんせ」の発祥の地とされてるのです。
この神社は川越城内の鎮守であり、お詣りするには天神門を通ります。そこには警護の侍がいて、それが怖かった…みたいなことからの唄のようです。


残念ながら、ただいま修復工事中で、幕がかけられています。
予定では平成31年春に完成とのこと。
また、御朱印は川越氷川神社にて授与ということで、本丸御殿を観たら、歩いていきます、
ちょっと遠いんですよねぇ (´・_・`)ふぅ



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川越城本丸御殿  入館 一般100円。


川越城は日本100名城の一つであり、なかなかの歴史なので貰ったパンフから抜粋します。

・長禄元年(1457) 扇谷(おうぎがやつ)上杉持朝(もととも)が太田道真(資清)、道灌(資長)父子ら家臣に銘じて築城。
・天文6年(1537)小田原を拠点に武蔵への進出を図る後北条氏が川越城を攻め落とす。
・天文15年(1546)扇谷上杉氏は山内上杉氏・古河公方と共に川越城奪還を図るが失敗(川越合戦)。後北条氏は北武蔵への支配を固めていった。
・天正18年(1590)豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家らに攻められ降伏。
・ 同年8月 徳川家康が江戸城に入ると、江戸に近い川越城には重臣酒井重忠を置く。
・寛永16年(1639)川越城主となった松平信綱は川越城の拡張整備を行い、本丸・二ノ丸・三ノ丸・追手曲輪・新曲輪などの各曲輪、3つの櫓、13の門からなる総面積約9万9千坪(約32万6千㎡)あまりの巨大な城郭になる。



本丸御殿の歴史

川越城は鷹狩などでたびたび将軍の「御成り」があり、本丸御殿は将軍のための「御成御殿」であったと考えられる。
・元禄15年(1702) 本丸の御殿は解体されていたと考えられる。
・弘化3年(1846) 二ノ丸御殿が焼失。
・嘉永元年(1848) 新たに本丸に御殿建設。
・明治になり、本丸御殿をはじめ多くの建物は移築・解体される。
・明治4年(1871) 入間県庁舎として利用される。
・大正7年(1918) 「専売局淀橋専売支局川越分工場」として煙草工場になる。
・昭和8年(1933) 「初雁武徳殿」として武道場になる。
・戦後市立第二中学校の仮校舎・屋内運動場として使用され、その後再び武道場になる。
・昭和42年(1967) 大規模な修理工事のすえ、現在の公開施設になる。




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家老詰所から眺める庭。



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当時こんな感じだったんですね。


御朱印を貰ったら「川越熊野神社」に行きます。


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途中桜が満開。



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鴨?


いい気分で歩いていたんですけど、なんか住宅街に入り、こっちだっけ?
と、着きました熊野神社?? きゃー 熊野違いですよ。
ここはどこじゃ! スマホで見る道無いし…遭難してしまった、生きて帰れるか…。

犬の散歩をしていた女性に、「駅どこですか?」と聞いて親切に途中まで連れて行ってくれました。
「地元の人じゃないと道分かんないのよね。」と言われ、
確かに道とは思えないところを歩きました。

時間をくってしまったので、川越熊野神社はまた後日にしましたとさ。



埼玉県川越市郭町2丁目25   ・最寄駅 本川越駅
三芳野神社HP
川越市
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